2019-02-07 ■ 雑感雑記 例えば、大槻ケンヂの『ステーシー』を読んで。 私は序章を渋川と詠子の恋愛小説だと思うことはできます。 けど、最後で渋川に「元気な女の子なら誰でもいいのか」と激昂することはできないのです。 ここにあるのは性差?想像力の差?感情移入の深さの差? 私はきっと物語を身体に入れられていないんです。どうしても目で読む癖がある。 だからこそ、自分とは違う読み方に出逢った驚き・喜びよりも遥かに、悔しさが勝ってしまうんです。 ああ、糞。